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インタービュアー:
今回のピックアップは、現在新宿コニカミノルタプラザで写真展を開催中の、綿貫淳弥さんです。
はじめに簡単な略歴をご紹介頂けますか?
綿貫淳弥:
高校までは、地元長野市の学校に通いました。
中学校まで野球をしていましたが、洋服が好きだったので、そのために高校では野球をやめてバイトを始めました。
インタビュアー:
写真に興味を持ったきっかけは?
綿貫淳弥:
洋服が好きだったので、ファッション写真を撮るカメラマンになりたかったのです。
インタビュアー:
現在の様な作品に至る過程をお話し頂けますか?
綿貫淳弥:
高校卒業後、東京の写真学校へ入学し勉強を始めました。
そこで星野道夫さんの写真のネイチャーの部分だけでなく、厳しい環境で生活する人へのまなざしにあこがれ、アラスカへ行きたいと思いました。
ゼミ講師の樋口健二先生の原発労働者の写真が自分に迫ってきて、先生のゼミを選択しました。
新聞奨学生で学校に入りましたが、ドキュメンタリーの授業とは両立できないと思い、親を説得し写真の授業に専念しました。
親は、奨学生を続けないなら地元に戻り別の進路に進む様に勧めてきました。
当時仕事をしていた新聞販売所が西麻布にあり、長野から東京に出てきた自分にとって、夜の六本木で撮影するのは楽しかったです。
インタビュアー:
卒業後は、どんなお仕事につかれましたか?
綿貫淳弥:
デザイン会社に就職しました。
その会社のクライアントの結婚式場で、ブライダル写真を撮っていました。
社員で忙しかったので、自分の作品の事は忘れていました。
お金は使う時間もない程だったので、自然と貯まっていました。
一年程すると社員たちが辞めていき、会社も潰れてしまいました。
仕事を辞めて2〜3ヶ月は、特に何もせずに読書をしながらぼんやりしていました。
たまたま入った古書店で、和辻哲郎の「風土 - 人間学考察」に出会いました。
この本を読んで、今回の作品の重要な部分が見えてきました。
あとで知った事ですが、写真家の濱谷浩氏も読んでいたそうです。
インタビュアー:
作品の核が見えた時、生計はどの様に立てていかれたのですか?
綿貫淳弥:
ロケーションアシスタントを始めました。
この仕事は、自分が出来る日を申告してスケジュールが決まるので、都合が良いのです。
現在は並行して、企業の商品写真を撮る外注カメラマンもやっています。
インタビュアー:
どうして'秋山郷'を取材しようと考えたのですか?
また何回くらい行かれましたか?
綿貫淳弥:
秋山郷は、学生の時の課題でたまたま行ったところでした。
出身県なのに全く知らないところでした。
第一回目は2004年3月15日。
母が、秋山郷の下の郷へ友人に会いに行くというので、ロケハンのつもりでついて行きました。
本格的に撮影を始めたのは4月23日の春祭り、中心的な集落の小花沢からでした。
まだ花が咲くには少し早く、雪も残っていました。2007年末までで、四季を問わず30回くらい通っています。
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